朝日日本歴史人物事典 「保明親王」の解説
保明親王
生年:延喜3(903)
平安前期の皇族。名は崇象。諡号は文彦。醍醐天皇と藤原穏子の皇子。外祖父が摂政藤原基経であったためその後援によってわずか2歳で東宮に立った。藤原摂関家にとって将来に大きな夢をつなぐ存在であった。21歳のとき病に罹り,天下に大赦の詔勅が下され回復の祈願がなされたが,その甲斐もなく若くして他界,菅原道真の怨霊の祟りと噂された。幼少のとき,高麗の人相見の占いに,あまりにも容貌が優れすぎているためこの国には適合せず短命であろう,とでたという。
(朧谷寿)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報