保明親王(読み)やすあきらしんのう

朝日日本歴史人物事典 「保明親王」の解説

保明親王

没年:延長1.3.21(923.4.9)
生年延喜3(903)
平安前期の皇族。名は崇象。諡号は文彦。醍醐天皇藤原穏子皇子。外祖父が摂政藤原基経であったためその後援によってわずか2歳で東宮に立った。藤原摂関家にとって将来に大きな夢をつなぐ存在であった。21歳のとき病に罹り,天下に大赦の詔勅が下され回復の祈願がなされたが,その甲斐もなく若くして他界,菅原道真怨霊祟りと噂された。幼少のとき,高麗の人相見の占いに,あまりにも容貌が優れすぎているためこの国には適合せず短命であろう,とでたという。

(朧谷寿)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「保明親王」の解説

保明親王 やすあきらしんのう

903-923 平安時代中期,醍醐(だいご)天皇の皇子。
延喜(えんぎ)3年11月30日生まれ。母は藤原穏子(おんし)。延喜4年親王となり,皇太子にたった。延喜23年3月21日死去。21歳。若年で没したため,菅原道真(すがわらの-みちざね)の怨霊(おんりょう)のたたりとうわさされた。初名は崇象。諡(おくりな)は文献彦太子。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「保明親王」の解説

保明親王 (やすあきらしんのう)

生年月日:903年11月20日
平安時代中期の醍醐天皇の皇子
923年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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