藤原穏子(読み)ふじわらのおんし

改訂新版 世界大百科事典 「藤原穏子」の意味・わかりやすい解説

藤原穏子 (ふじわらのおんし)
生没年:885-954(仁和1-天暦8)

平安中期の中宮藤原基経と人康親王女との間に生まれる(母を藤原得子とする伝もある)。899年(昌泰2)醍醐天皇後宮に入り,901年(延喜1)女御,さらに中宮,皇太后太皇太后となる。子に保明親王朱雀天皇村上天皇康子内親王の4人がおり,両天皇の国母として,兄の太政大臣忠平と結んで強大な権威をたもち,摂関全盛の時代をもたらした。その後宮のことを記したという《大后御記》は散逸したが,穏子らの建立した醍醐寺五重塔が現存する。
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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「藤原穏子」の解説

藤原穏子 ふじわらの-おんし

885-954 平安時代中期,醍醐(だいご)天皇の中宮(ちゅうぐう)。
仁和(にんな)元年生まれ。藤原基経(もとつね)の娘。母は人康(さねやす)親王の王女。昌泰(しょうたい)4年女御,延喜(えんぎ)23年(923)中宮となる。保明(やすあきら)親王,朱雀(すざく),村上両天皇,康子内親王を生む。のち皇太后,太皇太后。五条后とよばれる。天暦(てんりゃく)8年1月4日死去。70歳。

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「藤原穏子」の意味・わかりやすい解説

藤原穏子
ふじわらのおんし

[生]仁和1(885)
[没]天暦8(954).1.4.
醍醐天皇の皇后。基経の娘。別称,五条后。朱雀,村上両天皇の母。延喜1 (901) 年女御となり,延長1 (923) 年皇后となった。

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