怨霊(読み)オンリョウ

デジタル大辞泉 「怨霊」の意味・読み・例文・類語

おん‐りょう〔ヲンリヤウ〕【怨霊】

受けた仕打ちにうらみを抱いて、たたりをする死霊または生き霊。
[類語]悪霊物の怪死霊生き霊

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精選版 日本国語大辞典 「怨霊」の意味・読み・例文・類語

おん‐りょうヲンリャウ【怨霊】

  1. 〘 名詞 〙
  2. うらみをもって、生きている者にわざわいを与える死霊、または生霊。
    1. [初出の実例]「為平家怨霊、於高野山立大塔」(出典吾妻鏡‐文治二年(1186)七月二四日)
  3. ( しつこくせめ立てるところから ) 借金取りをいう、役者仲間の隠語債鬼
    1. [初出の実例]「グットうにゃ桜でゐたら、怨霊(オンリャウ)(〈注〉カケトリ)に責ぬかれるぜ」(出典:滑稽本・戯場粋言幕の外(1806)下)
  4. ( から転じて ) 借金
    1. [初出の実例]「私もおめさん精霊所(しゃうれうどこ)か怨霊(ヲンレウ)がおそろしくて をんれうとは借金の事」(出典:滑稽本・大千世界楽屋探(1817)中)

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「怨霊」の意味・わかりやすい解説

怨霊
おんりょう

怨(うら)み、憎しみをもった人の生霊(いきりょう)や、非業(ひごう)の死を遂げた人の霊。これが生きている人に災いを与えるとして恐れられた。霊魂信仰の考え方では、人間の肉体と霊魂とは別個のものであり、霊魂が肉体の中に安定しているとき、その人は生きている。生霊の場合、怨み、憎しみなどの感情があまりに激しいと、霊魂が肉体から遊離して災いを与えると考えた。非業の死の場合は、戦死、事故死、自殺などの原因により、霊肉そろった状態から、突然、肉体だけが滅びる。したがって、その人の霊魂は行き所を失い、空中をさまよっていると考えた。これらの霊を浮遊霊と名づけておく。平安時代の物の怪(もののけ)、中世の怨霊や御霊(ごりょう)、近世の無縁仏(むえんぼとけ)や幽霊などは、いずれも浮遊霊の一種とみることができる。浮遊霊は肉体を求めて、霊肉そろった状態に戻りたがっている。死の前後や、一時的に霊魂の不安定な人をみつけ、その人の霊を追い出してでも、肉体を乗っ取ろうとしている、と考えて恐れられるのである。その害を防ぐためには、菅原道真(すがわらのみちざね)の霊を天神として、あるいは各地の御霊(ごりょう)神社や和霊(われい)神社のように、神として祀(まつ)り鎮め、仏教でも念仏や読経(どきょう)によって供養を施し、災いを転じて福とするように努めている。また浮遊霊は、ウンカニカメイチュウなど稲の害虫の姿をとることがあるとも考えられ、この場合は虫送りなどの手段で村境に送って追放する。

[井之口章次]

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「怨霊」の意味・わかりやすい解説

怨霊
おんりょう

恨みをいだいて人にたたりを及ぼす生者および死者の霊。生きながらたたりをなすものを生霊といい,死後に現れるものを死霊と呼ぶ。怨霊は特に後者だけをさすことも多い。日本では奈良・平安・鎌倉時代に御霊 (ごりょう) として盛んに信仰された。中国でも魏,晋以後信仰が広まったといわれる。怨霊によってもたらされる不幸や災いを防ぎ,回避するために,積極的な宥和強制の儀礼,呪法が行われる。密教の加持祈祷や百万遍念仏 (→百万遍 ) もその一つであり,また未開社会ではシャーマンによる呪術が行われる。日本の場合,怨霊のたたりをしずめるために神社を建て,それを神として祀ることも行われた。

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山川 日本史小辞典 改訂新版 「怨霊」の解説

怨霊
おんりょう

恨みや執念をこの世に残して死亡し,さまざまな祟りをなす人の霊,御霊(ごりょう)のこと。御霊信仰は平安時代から盛んになり,政治的に非業(ひごう)の死をとげた菅原道真(みちざね)の怨霊が雷となって京に火災をもたらしたり,伴大納言の御霊が祟りをあらわして,悪性流行風邪をはやらせたりしたと信じられた。餓死者や戦乱による死者の霊も,怨霊となって飢饉や疫病・大火・日照り・水害・虫害・死傷などの祟りをなすとして,施餓鬼(せがき)・御霊祭を実施したり,念仏を詠唱し芸能を奉納した。長野県下伊那郡の遠山地方(現,飯田市)では,疫病や日照りになるのは一揆の折に死亡した領主の遠山一族の怨霊の祟りとされ,下栗(しもぐり)のかけ踊はそれを鎮め祭るために始められたと伝えられる。

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世界大百科事典(旧版)内の怨霊の言及

【井上内親王】より

…この事件は藤原百川が中心となり天智天皇系の光仁―桓武の皇位継承を確立するため,天武天皇系の井上―他戸を廃する陰謀とみる説が有力である。事件の異常さは皇后が現身に竜となって祟ったとして早くから伝えられ,《水鏡》は天皇と皇后が美男美女を賭けた双六に端を発し背後に百川の暗躍する怪奇な事件とし,百川は怨霊となった皇后に悩まされて死んだとする。《愚管抄》も百川に殺された皇后が竜となり百川を蹴殺したとの説を載せるなど,《平家物語》《太平記》をはじめ怨霊の顕著な例として知られた。…

【伊予親王】より

…のち無実が明らかとなり,839年(承和6)には一品が贈られた。このように悲劇的な最期をとげた人物の怨霊が民衆の心をとらえはじめたのは,ちょうど平安初期のことであった。天災地変から有力者の死までが,そのたたりであると理解された。…

【御霊信仰】より

…〈御霊〉は〈みたま〉で霊魂を畏敬した表現であるが,とくにそれが信仰の対象となったのは,個人や社会にたたり,災禍をもたらす死者(亡者)の霊魂(怨霊)の働きを鎮め慰めることによって,その威力をかりてたたり,災禍を避けようとしたのに発している。この信仰は,奈良時代の末から平安時代の初期にかけてひろまり,以後,さまざまな形をとりながら現代にいたるまで祖霊への信仰と並んで日本人の信仰体系の基本をなしてきた。…

【祟り】より

…なかでも〈祟り〉の現象が社会的な規模で強く意識されたのは平安前期の御霊信仰においてである。御霊とは政治的に非業の死をとげた人々の怨霊をいい,それが疫病や地震・火災などをひきおこす原因とされたのである。このような御霊信仰の先例はすでに奈良時代にもみられ,僧玄昉(げんぼう)の死が反乱者である藤原広嗣の霊の祟りによるとされたが,平安時代に入ってからはとくに権力闘争に敗れた崇道(すどう)天皇(早良親王),伊予親王,橘逸勢(たちばなのはやなり)などの怨霊が御霊として恐れられ,863年(貞観5)にはその怒りと怨みを鎮めるための御霊会(ごりようえ)が神泉苑で行われた。…

※「怨霊」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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