保科善四郎(読み)ホシナ ゼンシロウ

新訂 政治家人名事典 明治~昭和 「保科善四郎」の解説

保科 善四郎
ホシナ ゼンシロウ


肩書
元・衆院議員(自民党)

生年月日
明治24年3月8日

出生地
宮城県角田市

学歴
海兵(第41期)〔大正2年〕卒 海大〔大正14年〕卒

経歴
昭和5年アメリカ駐在、エール大学で学び、6年アメリカ大使館付武官補佐官、10年軍務局第一課長、14年「睦奥」艦長、15年兵備局長。20年の御前会議に軍務局長として出席戦後復員省に勤め、野村吉三郎元海軍大将の下で海空技術懇談会の世話役。懇談会は渡辺銕蔵グループと合体し経団連防衛生産委員会となり、その審議室委員として最軍備計画を立案、産軍依存体制の基礎をつくる。30年宮城1区から衆院議員に4回当選。自民党国防部会で国防会議構成法などの立案審議に当たり、日本国防協会、海空技術調査会の各会長を務めた。

受賞
勲二等旭日重光章〔昭和40年〕

趣味
読書 園芸

没年月日
平成3年12月24日

出典 日外アソシエーツ「新訂 政治家人名事典 明治~昭和」(2003年刊)新訂 政治家人名事典 明治~昭和について 情報

20世紀日本人名事典 「保科善四郎」の解説

保科 善四郎
ホシナ ゼンシロウ

大正・昭和期の海軍中将,政治家 元・衆院議員(自民党)。



生年
明治24(1891)年3月8日

没年
平成3(1991)年12月24日

出生地
宮城県角田市

学歴〔年〕
海兵(第41期)〔大正2年〕卒,海大〔大正14年〕卒

主な受賞名〔年〕
勲二等旭日重光章〔昭和40年〕

経歴
昭和5年アメリカ駐在、エール大学で学び、6年アメリカ大使館付武官補佐官、10年軍務局第一課長、14年「睦奥」艦長、15年兵備局長。20年の御前会議に軍務局長として出席。戦後復員省に勤め、野村吉三郎元海軍大将の下で海空技術懇談会の世話役。懇談会は渡辺銕蔵グループと合体し経団連防衛生産委員会となり、その審議室委員として最軍備計画を立案、産軍依存体制の基礎をつくる。30年宮城1区から衆院議員に4回当選。自民党国防部会で国防会議構成法などの立案審議に当たり、日本国防協会、海空技術調査会の各会長を務めた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「保科善四郎」の解説

保科善四郎 ほしな-ぜんしろう

1891-1991 大正-昭和時代軍人,政治家。
明治24年3月8日生まれ。海軍省軍務局第一課長,戦艦陸奥(むつ)」艦長などをへて軍務局長。海軍中将。戦後,海空技術懇談会の世話役となり,再軍備計画を推進した。昭和30年衆議院議員(当選4回,自民党)。平成3年12月24日死去。100歳。宮城県出身。海軍大学校卒。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「保科善四郎」の解説

保科 善四郎 (ほしな ぜんしろう)

生年月日:1891年3月8日
大正時代;昭和時代の政治家;海軍中将。衆議院議員(自民党)
1991年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

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