改訂新版 世界大百科事典 「信仰属地主義」の意味・わかりやすい解説
信仰属地主義 (しんこうぞくちしゅぎ)
1555年のアウクスブルクの宗教和議は,ローマ・カトリック派かルター派かを選択できる自由をドイツの領邦君主に承認し,領邦内の住民には彼らの君主が決定した宗派の信仰を強制させた。君主とは異なった宗派の信仰をもつ住民は財産を売却し,移住税を支払えば,領邦外に移住する自由は保証された。このような信仰属地主義は〈支配者の宗教,その地に行わるcujus regio, ejus religio〉と定式化されるが,これは1600年に教会法学者ヨアヒム・シュテファーニによって定式化されたものである。カトリック派,ルター派の両宗派共存を認められた帝国都市の住民の場合は,両宗派の範囲内では比較的自由に宗派を選べた。カルバン派が選択されうる宗派として認められるようになるのは,三十年戦争終結のウェストファリア条約(1648)においてである。信仰属地主義はしだいにゆるめられてくるが,個人の信仰の自由が認められるのは1815年になってからのことである。
執筆者:森田 安一
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報