信富町(読み)しんとみちよう

日本歴史地名大系 「信富町」の解説

信富町
しんとみちよう

上京区新烏丸通丸太町上ル下ル西入及び寺町丸太町上ル

町の西側は寺町てらまち通、東側は新烏丸しんからすま通、南は丸太町まるたまち通。中古京師内外地図によれば、室町時代中頃、この辺りに「祇院林院」「東山派三福寺」「常盤井殿」などの寺院邸宅があった。

元禄四年(一六九一)京大絵図には「信行寺・仏光寺・西方寺・三福寺」などが記されるが、宝永五年(一七〇八)の大火後、二条川東に移された(坊目誌)。町はその跡地に成立する。「坊目誌」は明治維新前に信濃しなの町・新烏丸町・東椹木ひがしさわらぎ町の三町が合併してできたというが、天保二年(一八三一)の改正京町絵図細見大成に「信富町」の名でみえ、既に合併している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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