日本歴史地名大系 「倉数村」の解説 倉数村くらかずむら 茨城県:東茨城郡小川町倉数村[現在地名]小川町倉数梶無(かじなし)川が流れ、北西は与沢(よざわ)村。仁平元年(一一五一)四月八日の吉田(よしだ)郡倉員(くらかず)宛の常陸国留守所下文写(吉田神社文書)によると、倉員の名田の古作二町であった武田(たけだ)荒野への則頼の執行が停止され、郡司の名田として新作二町の開発、追年の加作が請負われている。鹿島神宮文書にも度々倉員が登場する。すなわち承安四年(一一七四)一二月には右衛門佐兼押領使介高階朝臣(経仲)によって鹿嶋社(鹿島神宮)の神領として寄進され、大禰宜中臣氏の知行するところとなった(常陸国庁宣)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報