傑堂能勝(読み)けつどう・のうしょう

朝日日本歴史人物事典 「傑堂能勝」の解説

傑堂能勝

没年:応永34.8.7(1427.8.29)
生年文和4/正平10(1355)
南北朝・室町初期の曹洞宗禅僧河内(大阪府)太守楠木正儀の次男で正成の孫に当たる。俗名は正能。母は篠塚重広の娘。24歳のとき,戦場で左膝を負傷して出家を志し,和泉(大阪府)高瀬大雄寺の古剣智訥に得度した。丹波(兵庫県)永沢寺の通幻寂霊に学んだのち,越前(福井県)竜沢寺の梅山聞本に参じて法を嗣いだ。応永1(1394)年に越後(新潟県)瀬波杜沢に耕雲寺を開き,常陸(茨城県)耕山寺会津(福島県)天寧寺を開くなど,越後や東北南部,関東北部の曹洞宗の発展に貢献した。法嗣の南英謙宗と共に曹洞五位の碩学とされる。<参考文献>耕雲寺編『二祖傑堂能勝禅師五百五十回大遠忌記念誌』

(佐藤秀孝)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「傑堂能勝」の解説

傑堂能勝 けつどう-のうしょう

1355-1427 南北朝-室町時代の僧。
文和(ぶんな)4=正平(しょうへい)10年生まれ。楠木正儀(まさのり)の子。曹洞(そうとう)宗。丹波永沢(ようたく)寺(兵庫県)の通幻寂霊(つうげん-じゃくれい),越前(えちぜん)(福井県)竜沢寺の梅山聞本(ばいさん-もんぽん)に師事し,聞本の法をつぐ。応永元年越後(えちご)(新潟県)に耕雲寺をひらいた。のち越後に慈光寺創建。応永34年8月7日死去。73歳。河内(かわち)(大阪府)出身。俗名は正能。

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