朝日日本歴史人物事典 「傑堂能勝」の解説
傑堂能勝
生年:文和4/正平10(1355)
南北朝・室町初期の曹洞宗の禅僧。河内(大阪府)太守楠木正儀の次男で正成の孫に当たる。俗名は正能。母は篠塚重広の娘。24歳のとき,戦場で左膝を負傷して出家を志し,和泉(大阪府)高瀬大雄寺の古剣智訥に得度した。丹波(兵庫県)永沢寺の通幻寂霊に学んだのち,越前(福井県)竜沢寺の梅山聞本に参じて法を嗣いだ。応永1(1394)年に越後(新潟県)瀬波杜沢に耕雲寺を開き,常陸(茨城県)耕山寺や会津(福島県)天寧寺を開くなど,越後や東北南部,関東北部の曹洞宗の発展に貢献した。法嗣の南英謙宗と共に曹洞五位の碩学とされる。<参考文献>耕雲寺編『二祖傑堂能勝禅師五百五十回大遠忌記念誌』
(佐藤秀孝)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報