デジタル大辞泉
「薩都剌」の意味・読み・例文・類語
さっ‐とら【薩都剌】
[1305ころ~1355ころ]中国元代の詩人。字は天錫、号は直斎。モンゴルの人。叙情性の強い詩で知られる。詩集「雁門集」など。
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さっ‐とら【薩都剌】
- 〘 名詞 〙 中国、元の文人。蒙古人。字(あざな)は天錫。天下の絶景幽勝をくまなくきわめて詩を作ったという。著に「雁門集」など。(一三〇八‐?)
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薩都剌 (さっとら)
Sà dū lā
中国,元の詩人。薩都拉,サドゥラとも表記する。生没年未詳。字は天錫(てんしやく),直斎と号し,もとイスラム系タシマン部の出身であるが,祖父の代から山西雁門の人となった。泰定4年(1327)の進士。河北廉訪司経歴などを授けられ,飢民を救い陋習を改めるなど治績をあげたが,官途は不遇で,そのため退いて杭州に寓居し,景勝の地をめぐって,詩作に没頭した。詩は艶麗清新のうちにも,唐詩の風格を備え,多くの愛好者(魯迅もその一人)をもつ。また書画にも秀で,《厳陵釣台図》《梅雀》が残る。著に《雁門集》がある。
執筆者:福本 雅一
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薩都剌
さっとら
(1308―?)
中国、元(げん)末の詩人。字(あざな)は天錫(てんしゃく)。号は直斎。イスラム系答失蛮(タシマン)部の出身で、1327年(泰定4)の進士。多くの地方官となって各地に赴任し、好んで山水に遊んで景勝に詩を賦(ふ)した。流麗な七言歌行(かこう)にもっとも優れ、新鮮な叙情性とともに、唐詩の格調を備えた豪放な一面をあわせもつその詩風は、元末の詩壇に新生面を開き、魯迅(ろじん/ルーシュン)をはじめ多くの愛読者をもたらした。祖父の代から山西省雁門(がんもん)に住んだ縁で、その集を『雁門集』と名づける。伝は『新元史』巻238に記される。
[福本雅一]
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薩都剌
さっとら
Sa-du-la
[生]至大1(1308)
[没]?
中国,元の詩人。雁門 (山西省代県) の人。字,天錫。号,直斎。色目人のイスラム教幹部層ダニシュマンド (答失蛮) の出身。泰定4 (1327) 年進士に及第。南台の御史に進んだが,権力者を弾劾して左遷され,その後は地方官に終り,晩年は杭州に住み景勝を遊歴して詩境を楽しんだ。中国の文化を身につけた西域人として,その詩は清新な抒情と豪放な面を兼備し,元代屈指のものとされる。詩集『雁門集』 (8巻) 。
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世界大百科事典(旧版)内の薩都剌の言及
【中国文学】より
…彼の作は晦渋ではなく,卑俗におちいらず,格調の高いものである。元の時代の詩人の少なくない中で薩都剌(さつとら)はモンゴル族の出身であるが,平易なスタイルで豊かな感情を表現した。元好問と薩都剌2人の作品は近代日本でも少なからぬ読者を獲得していた。…
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