改訂新版 世界大百科事典 「通幻寂霊」の意味・わかりやすい解説
通幻寂霊 (つうげんじゃくれい)
生没年:1322-91(元亨2-元中8・明徳2)
南北朝期の曹洞宗の僧。豊後(大分県)の生れ。はじめ臨済宗の聖一派に属する定山祖禅に師事したが,1340年(興国1・暦応3)加賀の大乗寺に行き曹洞宗の明峰素哲に参じ,52年(正平7・文和1)には能登の総持寺に赴き峨山韶碩(がさんじようせき)のもとで修行し,その法を継いだ。68年(正平23・応安1)総持寺の住持となり,同寺では82年(弘和2・永徳2),88年(元中5・嘉慶2)の3度に及び住持をつとめている。1370年(建徳1・応安3)には細川頼之の帰依を受けて丹波永沢(ようたく)寺の開山となり,また教化活動にはげみ多くの弟子を有し,一派を形成した。了菴慧明(りようあんえみよう),普済善救(ふさいぜんきゆう),石屋真梁(せきおくしんりよう),天真自称(てんしんじしよう),不見明見(ふけんみようけん)などの弟子のうち,相模最乗寺の了菴の一系は関東地方から奥羽地方に教線を扶植し,石屋は守護島津元久の保護を受けて薩摩の福昌寺を開創し,また周防泰雲寺,長門大寧寺,美作(みまさか)西来寺などの諸寺を開創して九州・中国・山陰地方などに教線を拡張し,通幻の一派は全国的に発展した。
執筆者:竹貫 元勝
出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報