備前島村(読み)びぜんじまむら

日本歴史地名大系 「備前島村」の解説

備前島村
びぜんじまむら

[現在地名]鳴門市大津町備前島おおつちようびぜんじま

木津野きづの村の西の低湿地にある。北は新池しんいけ川を境として木津村、南は大谷おおたに川を境に中喜来なかぎらい(現松茂町)。東の木津野村から西の大代おおしろ村に至る道が通る。当地はもと入海であったが、永禄―元亀(一五五八―七三)の頃から洲となり萱が生えていたこの地を、天正年間(一五七三―九二)備前国の浪人高畠宗雲が来て開拓、備前野びぜんの村と称したという(郡村誌)。しかし寛永一七年(一六四〇)の備前島付近の成立についての申上書(山田家文書)などによれば、高畠一統の者は塩止工事に失敗して退き、段関だんぜき村を開いた善太夫の子次郎三郎・杢兵衛らの手で開拓が成功したという。


備前島村
びぜんじまむら

[現在地名]尾島町備前島

岩松いわまつ村の東方に位置し、東は武蔵幡羅はたら小島こじま(現埼玉県大里郡妻沼町)耕地、南は押切おしきり村、北は南東へ流れる石田いしだ川をへだてて米沢よねざわ村・牛沢うしざわ(現太田市)。民家南に旧河道の低地があり、悪水堀が東流する。寛文郷帳では旗本渡辺領で畑方のみ。元禄郷帳では旗本杉山・川勝・牟礼領の三給で、各一三九石二斗余を知行。江戸後期の御改革組合村高帳では幕府領と杉山領の二給。明和二年(一七六五)の徳川家康百五十回忌の際、日光例幣使街道木崎きざき宿(現新田町)の加助郷村となり、勤高四一七石(「日光御法会宿助郷人馬割付」小川文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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