僕固懐恩(読み)ぼくこかいおん(その他表記)Pu-gu Huai-en; P`uku Huai-ên

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「僕固懐恩」の意味・わかりやすい解説

僕固懐恩
ぼくこかいおん
Pu-gu Huai-en; P`uku Huai-ên

[生]?
[没]永泰1(765).9.8. 鳴沙
中国,唐に仕えたトルコ系武将。霊武 (寧夏回族自治区) の鉄勒 (てつろく) 僕骨部の首領。天宝 14 (755) 年安史の乱が起ると部衆を率いて朔方節度使郭子儀に従い,唐のために力戦ウイグル援軍を求める使者となり,娘はウイグルのカガン (可汗)にとつぎ,彼の一門で唐のために戦死したものは 46人という。代宗の信任を得て,中書令,朔方節度使などを歴任したが,やがて謀反の疑いを受け,ついに広徳1 (763) 年吐蕃 (とばん) ,吐谷渾 (とよくこん) ,ウイグルなどの兵数十万を率いて反旗を翻した。しかし利あらず,やがて病死

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