元岡村(読み)もとおかむら

日本歴史地名大系 「元岡村」の解説

元岡村
もとおかむら

[現在地名]西区元岡・元浜もとはま一―四丁目

太郎丸たろうまる村の北西糸島いとしま半島東部を占める丘陵地の南東端に位置する。志摩しま郡に属する。東は今津いまづ村、西はとまり(現前原市)。近世中期に干拓が実施されるまでは前面に入海が広がっていた。村内柚木ゆのきはかつては糸島水道柚木潟の船着場で、船をつないだとの伝承をもつ大松(船繋ぎ松)があった(元岡村誌)中世には怡土いと庄友永方に属した。嘉元三年(一三〇五)八月二日の鎮西下知状(大友文書/鎌倉遺文二九)によれば、友永方地頭大友貞親によって年貢抑留・公事対捍を訴えられた怡土庄名主のうちに、「元岡名」の名主円鏡ら僧侶の名前がみえる。建武元年(一三三四)九月一二日、島津道鑑(貞久)は元岡・今津などの地を足利尊氏から与えられたという(「島津国史」など)。今津は大隅国守護領であったから(貞治二年四月一〇日「島津道鑑譲状」島津家文書/南北朝遺文(九州編)四など)、元岡も今津と同様に守護領であった可能性がある。貞和六年(一三五〇)一一月、今津勝福しようふく寺の住僧進瓊は「元岡并次郎名分目、本者宗重、今号福丸名」などの田地屋敷安堵を足利直冬に申請し、同年一一月二五日に直冬によって認められた(同年一一月日「僧進瓊申状」勝福寺文書/南北朝遺文(九州編)三)。延文四年(一三五九)に至り「元岡山福丸名」の田地・屋敷は地頭職として勝福寺に安堵されている(同年三月二日「足利義詮御判御教書」同文書/南北朝遺文(九州編)四)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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