光吉悦心(読み)ミツヨシ エッシン

20世紀日本人名事典 「光吉悦心」の解説

光吉 悦心
ミツヨシ エッシン

大正・昭和期の労働運動家



生年
明治24(1891)年8月6日

没年
昭和56(1981)年5月30日

出生地
佐賀県杵島郡南有明村(現・有明町)

学歴〔年〕
鹿児島中学中退

経歴
寺の長男に生まれるが、福岡県田川郡の大任炭坑で坑外棹取夫となり、明治42年三井田川鉱業所大薮炭坑に移る。その後米騒動をきっかけに大正7年友愛会に入会し、友愛会後藤寺支部を結成し支部長となる。9年の八幡製鉄所争議で検挙され懲役1年執行猶予3年に処せられた。10年西部炭坑夫組合を設立し、14年日本坑夫組合の結成に参加。同年の総同盟大会で中央委員となる。日本労農党に参加するが、昭和3年第一線から退ぞく。5年総同盟に復帰し日本石炭坑夫組合を結成して組合長に就任し、争議を指導。満洲事変後、国家主義に傾き、7年日本国家社会党入党。13年生花店を開いた。戦後は九州地方鉱山労働組合を結成し、また社会党に入党。日本鉱山労働組合福岡県連合会事務局長を歴任した。著書に「火の鎖」。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「光吉悦心」の解説

光吉悦心 みつよし-えっしん

1891-1981 大正-昭和時代の労働運動家。
明治24年8月6日生まれ。三井鉱山ではたらき,大正7年友愛会の後藤寺支部をつくる。以後炭鉱労働者の組織活動をつづけ,昭和5年総同盟日本石炭坑夫組合を結成,翌年筑豊(ちくほう)炭田大争議を指導する。のち今村等(ひとし)とともに国家社会主義に転じた。昭和56年5月30日死去。89歳。佐賀県出身。鹿島中学中退。自伝に「火の鎖」。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

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