光明蔵跡(読み)こうみようぞうあと

日本歴史地名大系 「光明蔵跡」の解説

光明蔵跡
こうみようぞうあと

瑞巌寺洞水は当山に大蔵経のないのを遺憾とし、徒弟にその志を語っていた。通玄がその遺志を継ぎ諸兄弟とはかって若干の金を集め、三〇年かかって数百金に増した。元禄一二年(一六九九)その半分で黄檗山印板の経典を買い、二〇〇金を造殿の資金とした。同一六年に瑞巌寺住持となり翌年縄張りを行ったが、宝永元年(一七〇四)没した。永州志淳がその遺志を継ぎ、独力四方に良材を求めるなど苦労していた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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