日本歴史地名大系 「松島村」の解説
松島村
まつしまむら
瀬戸村の西方にある松島を村域とする。松島内郷に
寛永年間(一六二四―四四)頃から松島に押役が置かれ、中村氏が定番として勤め、寛文一二年役所屋敷が建立された。
松島村
まつしまむら
現松島町の南西端、国指定特別名勝松島の中心部に位置。東部から南部にかけては松島湾に面し、海上には松島群島とよばれる島々が点在、一大景観をなす。海岸線は七浦八崎と称されるほど入組み、また丘陵が海岸に迫っているため平地は少ない。天長五年(八二八)開創と伝える名刹瑞巌寺と関連寺社が多い。
南北朝期には当地も両軍対峙の場となることがあり、暦応三年(一三四〇)七月二三日には奥州足利方の総大将石塔義房から相馬親房宛に、「渋江凶徒等可寄来松島之由有其聞、相催在郷之相馬一族等、(中略)於一所可被致軍忠也」との軍勢催促状(相馬文書)が出されており、翌年一〇月一九日に南朝方五辻清顕から白川修理権大夫宛に出された書状(白河文書)にも松島攻防のことがみえる。下って康正三年(一四五七)「ミわさきおくの二郎兵衛」が紀州熊野
松島村
まつがしまむら
松島村
まつしまむら
松島村
まつしまむら
松島村
まつしまむら
松島村
まつしまむら
松島村
まつしまむら
松島村
まつしまむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報