入善庄(読み)にゆうぜんのしよう

日本歴史地名大系 「入善庄」の解説

入善庄
にゆうぜんのしよう

遺称地は現入善町であるが、四至は判然としない。また同町田中たなかには庄家の遺構が発見されたじょうべのま遺跡があって、その関連性を唱える説もあるが、明らかではない。立庄は大治年間(一一二六―三一)にさかのぼり、奈良東大寺越中国に多く有した庄園の転倒に伴い、その代替措置として「入善庄一処」を立てたとされる(年月日欠「東大寺三綱等解案」東大寺文書)。所当は東大寺の受戒料にあてられており、年月日欠の受戒料等下行注文(同文書)には四八二文と記されている。以後東大寺は明応年間(一四九二―一五〇一)に至るまで支配の痕跡を残した。とくに庄域を含む黒部川扇状地は、黒部四十八ヵ瀬とよばれるほどの荒れ川である黒部川の洪水に幾度となく見舞われ、その度に庄園復興の努力がなされた。「平家物語」巻七に「越中国の住人入善の小太郎行重」がみえる。

一方、立庄から鎌倉時代初期にかけては何度も一国平均役等の免除を要請し認められた(文治四年七月一三日「東大寺注進状案」東大寺要録など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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