日本歴史地名大系 「入山田村」の解説 入山田村いりやまだむら 大阪府:泉佐野市入山田村犬鳴(いぬなき)川上流の山間部にあって、九条家領日根(ひね)庄を構成した一村。鎌倉時代から江戸時代初期まで存在し、庄名でよぶこともあった(文明一六年一二月七日「宇高光成書状」日根文書)。初見は文暦元年(一二三四)一二月二日の日根庄諸村田畠在家等注文案(九条家文書)。同注文案は前欠で当村の全構成はわからないが、入山田村には公文左近将監平朝高・地頭代右馬允源時村がおり、大井関(おおいぜき)社(現日根神社)巫の守光、大井関社勾当の行貞ら二二名の在家農民がいて、国守垣内・正友垣内・守国垣内・末行垣内などを構成するほか、坂窪・寺北・寺後・東窪・河東・江次谷口・御所内・船淵・若前大河東・大木原大河内・滞谷口・大木窪・若岐窪・西河側・円淵・井口・火打河・稲倉・石前・柳谷東などの字地があった。残存部集計によると田数一三町六反余、うち現作田一一町九反余・年荒五反余・永荒一町余など。畑は八町九反余。村内には村内および下流の日根野(ひねの)村に灌漑するための井堰八ヵ所と池二(橘谷池・火打河池)があり、別所林とよばれる共有の栗林が一ヵ所あった。文永九年(一二七二)七月、九条家は日根野村に本貫をもつ中原(日根野)盛経を当村預所職に補任、当村支配の安泰を期した(同月一八日「日根庄領家下文」日根文書)。また応長二年(一三一二)二月には僧光憲が「日根野・入山田二箇郷」の下司以下諸職を請負い、年貢・公事を九条家に納入することを約している(同月二五日「僧光憲請文」九条家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報