入戸野村(読み)につとのむら

日本歴史地名大系 「入戸野村」の解説

入戸野村
につとのむら

[現在地名]韮崎市円野町入戸野まるのまちにつとの

下円井しもつぶらい村の南にあり、村域は釜無川右岸の氾濫原から西部山地に及ぶ。西部山麓を徳島とくしま堰が流れる。天正一七年(一五八九)一二月一一日の伊奈忠次知行書立写(記録御用所本古文書)に「三百拾三表六升九合三勺二才 入戸野之郷」とみえ、合せて七千三〇〇余俵が武川衆中に安堵されている。入戸野郷は甲斐源氏一族で、のちに武川衆の構成員となった入戸野氏の本貫地とされる(「寛政重修諸家譜」など)。武田氏滅亡後の天正一〇年一二月一一日の徳川家康印判状写(記録御用所本古文書)に書上げられた武川衆のなかに入戸野又兵衛(門宗)の名がみえ、徳川家康の関東転封に伴い武蔵に移った武川衆のなかにもその名がみえる(記録御用所本古文書)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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