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徳島堰 とくしまぜき

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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典の解説

徳島堰
とくしまぜき

山梨県西部,釜無川から水を引く御勅使川扇状地付近の灌漑用水路。延長 17km。徳島兵左衛門により寛文8 (1668) ~11年に完成。現在はこの水を利用し,モモ,ブドウメロンを多産する。

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日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

徳島堰
とくしまぜき

山梨県甲府盆地の北西部にある灌漑(かんがい)用水路。釜無(かまなし)川の水を韮崎(にらさき)市上円井(かみつぶらい)で取水し、御勅使(みだい)川扇状地の南アルプス市曲輪田(くるわだ)新田まで通じている。1665年(寛文5)江戸の商人徳島兵左衛門(へいざえもん)によって起工され、有野(ありの)村(現南アルプス市有野)の矢崎又右衛門(またえもん)が引き継ぎ、1670年に完成した。全長17キロメートル、灌漑面積500ヘクタールで、これにより山麓(さんろく)から扇状地にかけての畑や原野が水田化された。幕府は兵左衛門の功をたたえ「徳島堰」と名づけた。[横田忠夫]

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世界大百科事典内の徳島堰の言及

【甲斐国】より

…国中3郡では寛文期に河西領と直轄領・給地が入り組んだ河東領において区々に施行され,さらに柳沢氏による部分的検地もあって,1756年(宝暦6)には甲斐全体で村数775,石高30万6077石と把握されている。山国である甲斐は土地利用の進んだ中心部甲府盆地に対して,諸川の扇状地や台地などでは郡内領の谷村大堰や峡北の徳島堰に象徴されるような規模の大きな堰の開削が寛永~寛文期(1624‐73)に集中し,元禄期(1688‐1704)には各地域の一般的農業生産の上に地理的条件にもとづいた特産物生産が展開した。農業生産力の最も豊かな甲府盆地東部の山梨,八代両郡の養蚕業は登せ糸生産として顕著な発展を示し,甲州街道(甲州道中)勝沼宿周辺では特殊果樹としてブドウ生産があった。…

【甲府盆地】より

…盆地の本格的な開発は中世になって荘園が各地に設けられ,次いで戦国時代に武田氏によって盆地統一が果たされて以降で,武田信玄は治水事業に力を入れ,釜無川と御勅使川の合流点付近に信玄堤を作るなど大きな成果をあげた。江戸時代になると水利の悪い扇状地の開田に力が入れられ,釜無川の水を御勅使川に流して開田化をはかった徳島堰などが設けられた。明治以降盆地の農業は盆地底部の水田稲作と扇状地での養蚕が主であったが,盆地の気候は内陸性で,年間降水量は1100mmと比較的少なく,冬季は低温ではあるが夏季は高温となるため果樹栽培に適し,勝沼や甲府市西郊では早くからブドウ栽培が行われた。…

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