日本歴史地名大系 「入膳用水」の解説 入膳用水にゆうぜんようすい 富山県:下新川郡入善町入膳用水黒部川の川筋が一定していない時代、取入口は固定していなかった。上流部の川筋がほぼ現在の辺りに定まったのは貞享二年(一六八五)頃で、同四年から浦山新(うらやましん)村を中心に黒部川から用水を取込むようになったという。天明六年(一七八六)の記録によると、当用水を受けていたのは入膳村・入膳新村・神林新(かんばやししん)村・上野(うわの)村・吉原(よしわら)村・道市(どいち)村・青島(あおしま)村・新屋(あらや)村・一宿新(ひとやどりしん)村・小摺戸(こすりど)村・浦山新村の一一ヵ村で、その合計草高は四千八五七石である(「川除御普請水下村々覚」柏原家文書)。黒部川に堰を設けて取水していたため、よく洪水の被害を受けている。安永七年(一七七八)には水門が押流され、用水路にも大きな被害が出た(「御用留」伊東家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報