全久院(読み)ぜんきゆういん

日本歴史地名大系 「全久院」の解説

全久院
ぜんきゆういん

[現在地名]豊橋市東田町 東郷

村域の東方にある。仙寿山と号し、曹洞宗本尊釈迦牟尼仏。永正一一年(一五一四)の創立で、仁連木にれんぎ城主戸田憲光が亡父(法名全久)追善のため開基となって建立した。開山は、泉竜せんりゆう(現新城市)四世克補契嶷の法嗣光国舜玉。戸田氏は、転封ごとに城下に全久院を建て、元和三年(一六一七)松本まつもと(現長野県松本市)移封のときも全久院を建立した。

全久院
ぜんきゆういん

[現在地名]磐田市鎌田

鎌田かまだ地区東部、磐田原台地鎌田丘陵の南端にある。護国山と号し、曹洞宗。本尊は虚空蔵菩薩。寺伝によるともと真言宗に属していたが、永禄元年(一五五八)松秀しようしゆう(現浅羽町)第二世経庵を請じて改宗開山とした。江戸時代には朱印高二石(正保郷帳など)。寛永二年(一六二五)厳祝黄梅により当寺に寺子屋が開創され、寛文一〇年(一六七〇)の頃から明治初年に至るまで、代々住職による寺子屋教育が行われた。安政地震のため諸堂が倒壊し、文久元年(一八六一)には火災で焼失したが、慶応四年(一八六八)本堂そのほかが造営された(磐田郡誌)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報