八塔寺村(読み)はつとうじむら

日本歴史地名大系 「八塔寺村」の解説

八塔寺村
はつとうじむら

[現在地名]吉永町加賀美かがみ

八塔寺山(五三八・六メートル)の南、起伏に富んだ高原上にある。北・西ともに美作国英田あいだ郡と接する。村名は奈良時代に聖武天皇の勅願によって建立されたといわれる八塔寺に由来する。慶長一八年(一六一三)和気郡御勘定帳に「八塔寺寺分」とみえ、物成七三石余、無役とある。寛永備前国絵図に八塔寺村とみえ、高一四七石余。正保郷帳には枝村としてじようはた村・西畑にしばた村が載る。「備陽記」では田畑一七町二反余、家数三七・人数一七七。文化年間の「岡山藩領手鑑」には直高一八七石余で蔵入。二口高一九二石余・残高一二四石余、反別田七町六反余・畑七町一反余、家数五〇、うち西畑一五・城ヶ畑六・本村二九、檀家は八塔寺常照院一〇・宝寿ほうじゆ院一〇・明王院三〇、人数二〇五(うち大工一・木挽一)、牛三、猟師鉄砲九、寺三、宮三、堂一、三重塔一、鐘楼堂一、役行者堂一、地蔵堂一(城ヶ畑)、池三、山三四九町余、藪四畝余(蔵入)、高札場一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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