八太郷(読み)はたごう

日本歴史地名大系 「八太郷」の解説

八太郷
はたごう

和名抄」所載の郷。同書東急本に「波多」の訓がある。郷名の初出は藤原宮跡出土木簡に「己亥年(文武天皇三年)十二月二方評波多里」とあり、ついで養老年間(七一七―七二四)頃と推定される平城宮跡出土木簡に「但馬国二方郡波太郷」、天平一〇年(七三八)頃と推定される同出土木簡に「(表)但馬国二方郡波太郷」「(裏)委直馬弖」とみえる(「委」は「采女」ともとれる)。天平勝宝二年(七五〇)正月八日の但馬国司解(東南院文書)によれば、但馬国司は勅により「波太郷戸主采女直真嶋戸采女直玉手女」の婢である小当女(歳一七)を稲九五〇束で購入して進上したが、同三年五月二一日の下総国司解(菅孝次郎氏所蔵文書)によれば、婢古麻佐売(小当女)は下総国香取かとり郡から進上された婢稲主売とともに法華ほつけ(現奈良市)より逃亡して、稲主売の出身地の香取郡へ逃来ったが、逮捕されて平城へ送還されたとある。


八太郷
はちたごう

「和名抄」高山寺本・東急本ともに「鉢多」の訓を付す。「万葉集」巻二詞書に「十市皇女、伊勢の神宮に参赴りし時、波多の横山の巌を見て吹刀自の作る歌」とみえ、郷内に波多横山はたのよこやまと称される所があった。「延喜式」神名帳には「波多ハタノ神社」がみえる。「神宮雑例集」には八大御厨・八大御園がみえ、平安末頃には郷内に外宮領が成立。郷域は「一志郡史」は現嬉野うれしの八田はつたに、「布留屋草紙」「大日本地名辞書」は現一志八太はたに比定する。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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