日本歴史地名大系 「八太郷」の解説
八太郷
はたごう
「和名抄」所載の郷。同書東急本に「波多」の訓がある。郷名の初出は藤原宮跡出土木簡に「」、天平一〇年(七三八)頃と推定される同出土木簡に「(表)但馬国二方郡波太郷」「(裏)委直馬弖」とみえる(「委」は「采女」ともとれる)。天平勝宝二年(七五〇)正月八日の但馬国司解(東南院文書)によれば、但馬国司は勅により「波太郷戸主采女直真嶋戸采女直玉手女」の婢である小当女(歳一七)を稲九五〇束で購入して進上したが、同三年五月二一日の下総国司解(菅孝次郎氏所蔵文書)によれば、婢古麻佐売(小当女)は下総国
八太郷
はちたごう
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報