日本歴史地名大系 「八尾木村」の解説 八尾木村よおぎむら 大阪府:八尾市八尾木村[現在地名]八尾市八尾木一―六丁目・八尾木東(よおぎひがし)一―三丁目・八尾木北(よおぎきた)一―六丁目・八尾木など若江郡に属し、刑部(おさかべ)村の西、長瀬(ながせ)川(旧大和川の本流)の右岸に沿う。南東は東弓削(ひがしゆげ)村。明(あけ)川が流れる。曙川・赤川とも書き、川下の村では楠根(くすね)川とよぶ。聖徳太子が物部守屋を攻めた時、ここに来て夜がほのぼのと明けたから明川というと伝える(河内名所図会)。当地域は称徳天皇・弓削道鏡時代、平城京に対する西の京、つまり由義(ゆげ)宮の置かれた土地である。当地辺りはその中心的な位置にあったと考えられる。三条西公条の「吉野詣記」天文二二年(一五五三)三月一〇日条に「是(信貴山)より河内国八尾木の金剛蓮華寺といふ寺をさして行きつきにけり」、同一一日条に「けふは住吉へとぞ思ひたちける、こゝなる人のいふやう、この八尾といふ所は鶯の名所なり、よのつねのは尾十二枚かさなれり、この所のは尾を八枚かさね、すぐれたるよし申しけり」とみえる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by