日本歴史地名大系 「八嶋陵」の解説 八嶋陵やしまりよう 奈良県:奈良市都南地区八島村八嶋陵[現在地名]奈良市八島町八島町から藤原(ふじわら)町へ通ずる道の南にあり、光仁天皇の皇子早良親王(崇道天皇)陵とされる。「延喜式」に「八嶋陵」として「崇道天皇、在大和国添上郡、兆域東西五町、南北四町、守戸二烟」とあり、大正一四年(一九二五)の「奈良県史蹟名勝天然紀念物調査会報告・第八回」御陵墓表には「東西壱町壱分弐厘、南北参八間壱分七厘」とみえる。ちなみに陵前道路上には横穴式古墳の大型天井石が露出、石室は大部破壊され、封土もまったくなく、俗に「八つ石」と称している。早良親王は天応元年(七八一)に皇太子となったが、延暦四年(七八五)藤原種継暗殺にくみしたとして廃せられ、乙訓(おとくに)寺(現京都府)に禁固された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by