八幡城(岐阜県)
はちまんじょう
戦国期~江戸期の城。岐阜県郡上(ぐじょう)市八幡町柳町にあり、郡上八幡城と呼び習わされている。吉田(よしだ)川と小駄良(こだら)川に挟まれた標高350メートルの山上を中心とした山城(やまじろ)。1559年(永禄2)遠藤盛数(もりかず)が主君東常堯(とうのつねたか)を滅ぼしてから着工した。江戸期には井上、金森(かなもり)、青山氏などが入っている。江戸期になると、戦国期の山上にあった本丸を松の丸、桜の丸とし、山麓(さんろく)にあった二の丸を本丸とした。天守閣は築かれず、現在あるのは1933年(昭和8)に建てられた模擬天守閣である。
[小和田哲男]
八幡城(滋賀県)
はちまんじょう
戦国期の城。滋賀県近江(おうみ)八幡市宮内(みやうち)町にあり、近江八幡城とよばれる。城は標高283メートルの比牟礼(ひむれ)山(鶴翼山(かくよくざん))頂を本丸とする山城(やまじろ)で、1585年(天正13)羽柴(はしば)(豊臣(とよとみ))秀次(ひでつぐ)が築いたものである。1590年秀次が清洲(きよす)城(愛知県清須(きよす)市)に転じた後を受けて京極高次(きょうごくたかつぐ)が入るが、城を大津に移したため、95年(文禄4)に廃城となった。石垣がよく残り、五七桐紋(きりもん)の金箔瓦(きんぱくがわら)が出土している。
[小和田哲男]
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
世界大百科事典(旧版)内の八幡城の言及
【八幡】より
…1585年(天正13)豊臣秀吉により近江20万石を与えられた甥の秀次は,標高283m余の八幡山に築城,山麓に安土の城下町を移し,また諸役免除等の内容を有す八幡山下町掟書(はちまんさんげまちおきてがき)13ヵ条を発し,城下町経営を進めた。90年秀次は岐阜竹ヶ鼻に転封,京極高次が2万8000石をもって八幡城主に封じられたが,95年(文禄4)秀次の自刃により,縁故のあった八幡城は廃城となり,高次も大津へ移った。しかし町は八幡町と公称され,関ヶ原の戦後幕府領となったが,1698年(元禄11)まず新町以西が旗本朽木(くつき)氏領に,1708年(宝永5)には全町が朽木氏領,1826年(文政9)幕府領,42年(天保13)尾張藩領,54年(安政1)再度幕府領と支配が変遷した。…
【八幡[町]】より
…長良川鉄道,国道156号線が通じ,1996年4月東海北陸自動車道が延長され,郡上八幡インターチェンジが開設された。【上田 雅子】
[八幡城下]
美濃国郡上郡の八幡城(積翠城ともいう)を中心に形成された城下町。郡内の和良,上ノ保,明方(みようがた),下川の各筋に通じる政治・経済上の要地。…
※「八幡城」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」