八幡堤
やはたづつみ
[現在地名]佐和田町石田
石田川の右岸、海岸にせり出した台地の沢を堰止めて造られた堤。東福城跡の東側にあたる。「佐渡年代記」によると、佐渡奉行御手洗四兵衛定重の認可のもと、佐渡在住の役人への対策として行われた役人見立新田開発のため築かれたものの一で、水源確保が目的であった。開発者は奉行に次ぐ重役の奥野七郎右衛門。寛文二年(一六六二)に着工し同四年に完成。これにより国府川最下流右岸の低湿地である八幡沖十数町歩が開墾された。築堤のため水没する石田村地内の本田寺所有地の字池の川内の水田を一年四石五斗で借りて、竪一七〇間・横六〇間・深さ二丈余の溜池が造られた。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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