八幡藩陣屋跡(読み)やわたはんじんやあと

日本歴史地名大系 「八幡藩陣屋跡」の解説

八幡藩陣屋跡
やわたはんじんやあと

寛文八年(一六六八)堀直良が苅谷藩領一万石を襲封、その居所市原郡八幡村に移したという(寛政重修諸家譜)。領知は苅谷藩堀直景領を継承し、上総では市原郡一千四二〇石余・夷隅いすみ郡二千一二石余・埴生はぶ郡六四二石余・長柄ながら郡五五八石余で、ほかに香取郡三〇〇石余・武蔵高麗こま郡六九石余・越後刈羽かりわ郡五千五〇〇石余(寛文四年「堀直景領知目録」寛文朱印留)。直良は貞享四年(一六八七)三度目の大坂加番を勤めているが、元禄四年(一六九一)八幡陣屋で病没したという。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む