日本歴史地名大系 「八桝村」の解説 八桝村やますむら 京都市:左京区八桝村[現在地名]左京区花背(はなせ)八桝町東北は原地新田(はらちしんでん)、西南は大布施(おおふせ)村と接する。広河原(ひろがわら)から南流する桂川と八桝川が合流する辺りに開けた山間集落。古くは平家の所領ともいわれ、江戸時代初期の「日次紀事」八月朔日の項に「内府平重盛公忌。治承三年今日薨。法名証空蔵四十三、曾有賢人名、丹波八升村観音堂中有束帯像、八升疑クハ 古小松殿之領地乎」と記すが、史料はない。施薬院文書中の天正一三年(一五八五)、同一五年の豊臣秀吉朱印状によれば、大布施村・別所村などとともに、この頃施薬院領に定まったとみられる(→大布施村)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by