八槻村(読み)やつきむら

日本歴史地名大系 「八槻村」の解説

八槻村
やつきむら

[現在地名]棚倉町八槻

寺山てらやま村の西、久慈くじ川西岸の平地八溝やみぞ山地北東端丘陵地に立地。水戸街道が通り、平潟ひらかた(現茨城県北茨城市)への道が分岐する。矢築・矢槻とも書き、日本武尊の遠征時、賊を射た矢が落下した地を矢着やつきと称したとの説、また射た矢から芽が出て槻の木になったので八槻と称したとの説話がある(「陸奥国風土記逸文」大善院旧記)。延元二年(一三三七)八月二六日の相馬胤平軍忠状(相馬文書)に「高野郡内矢築宿」とみえ、胤平は建武三年(一三三六)一二月二三日夜、八槻宿で来襲した北朝軍と戦い、これを防いでいる。当地は古代陸奥と常陸を結ぶ官道が通る交通の要衝で、宿場が形成されていたとみられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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