八瀬村(読み)やせむら

日本歴史地名大系 「八瀬村」の解説

八瀬村
やせむら

[現在地名]左京区八瀬〈秋元あきもと町・近衛このえ町・野瀬のせ町・花尻はなじり町〉

北は花尻橋で大原、西は山を隔てて岩倉、南は高野たかのに隣し、東は比叡山を境として近江国滋賀郡(現大津市)に至る。大原・朽木越くつきごえ(若狭街道)に沿って散在する山間集落で、高野川の上流八瀬川が中央を貫流する。「古今六帖」に

<資料は省略されています>

八瀬の名は、川(八瀬川)がこの辺りで山峡を下り、各所で急瀬を形成していることからといわれ(京都府愛宕郡村志)、今も七瀬ななせ余瀬よせ美濃瀬みのせなど瀬のついた字名が残る。

古代の愛宕おたぎ小野おの(和名抄)に属する。「小右記」寛仁三年(一〇一九)七月九日条に「加以延暦寺領八瀬横尾両村田畠等、代国宰以租税充禅院之燈分、令住人勤彼寺之役者、久作仏地」とあり、八瀬村が以前から延暦寺領として、租税・課役を負担していたことが知られる。寛治六年(一〇九二)の山城国八瀬刀禰乙犬丸解(青蓮院吉水蔵菩薩釈義紙背文書)に、

<資料は省略されています>

とみえ、山門青蓮房しようれんぼうがこの地を支配していたこと、村内に宮座の組織があり座役をめぐる争いがあったことが知られる。この八瀬の宮座は記録に現れるわが国最古のものである。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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