日本歴史地名大系 「秋元神社」の解説
秋元神社
あきもとじんじや
八瀬天満宮境内の本殿の南にあり、赦免地踊で知られる。近世の比叡山との境界争いで老中秋元喬知の裁許により八瀬村の利権が認められ、報恩のため村人が喬知を秋元大明神として祀った神社。境相論は宝永四年(一七〇七)日光准后の申出によって山門の結界が改められたことに端を発し、翌五年一二月五日には「山門結界之儀、往古者は至示之内、女人牛馬制禁之処、近来西表属八瀬村、女人牛馬令往来、浄界就及汚濁、依日光准后御願、結界之地改之(中略)其内ヘ女人牛馬は勿論、惣而八瀬之者一切不可入山下」の裁決が幕府より出された(八瀬記)。耕地が少なく薪商売を生業とする村人にとって、山への立入禁止は死活問題であり、早速幕府へ訴出たが容易に取上げられず、そこで老中秋元喬知に愁訴した。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報