日本歴史地名大系 「八郡山」の解説 八郡山やこおりやま 長野県:南佐久郡八千穂村八郡村八郡山[現在地名]八千穂村大字八郡字八ヶ岳下字八ヶ岳下の約四千町歩の広大な林野。八郡・上畑(かみはた)・中畑・下畑・大窪(おおくぼ)・高野町(たかのまち)・宿岩(やどいわ)・取出町(とりでまち)八ヵ村の入会山で、八郡山とよばれた。この入会山の成立は寛永一一年(一六三四)以前にさかのぼるもので、初めは八郡・上畑・中畑・下畑の四ヵ村が入会い、寛永年間(一六二四―四四)から高野町・大窪・宿岩・取出四ヵ村が新規に加入した。八郡村はその山元村として、八郡・大石から各一名ずつ山守が命ぜられてその管理にあたったが、後期になると、入会八ヵ村の名主・組頭・百姓代などの村役人が立ち会って議定書を作り、これに準拠して管理するようになった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by