八重窪村(読み)やえくぼむら

日本歴史地名大系 「八重窪村」の解説

八重窪村
やえくぼむら

[現在地名]西会津町新郷三河しんごうみかわ

橋屋はしや村の北東方阿賀川北岸の山間に位置し、耶麻郡大谷組に属した。同川を挟んで南方は河沼郡小島おじま村。本村の南六町余、阿賀川に面して端村上島かみのしまがある。蘆名氏家臣武藤摂津守による開拓と伝え、本村集落の北一町ほどに摂津守の居館があった。しかし館跡は文化年間(一八〇四―一八)には畑地となっていた。また上島東部の阿賀川端にはかつて武藤中務丞の居館があったという(以上「新編会津風土記」)。天文二三年(一五五四)九月二八日、西海枝盛秀は「耶麻郡之内上島」の浮徳分六貫七〇〇文の地を武藤中務丞に売渡し、蘆名盛氏がこれを安堵している(「西海枝盛秀売券」・「蘆名盛氏判物写」会津旧事雑考など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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