日本歴史地名大系 「小島村」の解説
小島村
こしまむら
- 長崎県:長崎市
- 小島村
小島村
おじまむら
小島村
おじまむら
- 愛知県:西尾市
- 小島村
市の東北に位置し、矢作川と
この村から高さ三一・五センチの銅鐸が発見されている。「中頃の銅鐸」と表現される類で、近くに
小島村
こじまむら
- 静岡県:磐田市
- 小島村
浜松藩領分は享保三年(一七一八)には高七二一石余、家数八八(うち本百姓七八・水呑百姓一〇)・人数四一二、馬一三。
小島村
こじまむら
- 石川県:七尾市
- 小島村
七尾南湾に位置し、東限近くを小島川(現桜川)が北流して七尾南湾に注ぐ。文明一一年(一四七九)八月、守護畠山義統の招きで能登を訪れた歌人の招月庵正広は、九月四日七尾南湾岸の磯遊びの途次「小島の観音」を拝し、古寺残灯と題して「此浦の南の小嶋補陀羅具のはしめはこれか残るともし火」(「松下集」国会図書館蔵)を詠んでいる。
天正一七年(一五八九)九月二二日の前田利家印判状写(能登生国玉比古神社文書)の宛名に「小島所口之百姓中」とみえ、このとき当地の一部が
小島村
こじまむら
- 長野県:須坂市
- 小島村
現須坂市北西部。東は
集落は西南部に集まり、南端沼目村境に
小島村
こじまむら
小島村
おしまむら
- 熊本県:熊本市
- 小島村
小島村
おしまむら
- 兵庫県:豊岡市
- 小島村
小島村
こじまむら
小島村
こじまむら
- 滋賀県:守山市
- 小島村
小島村
おしまむら
小島村
こじまむら
小島村
おじまむら
小島村
おじまむら
小島村
おじまむら
- 埼玉県:本庄市
- 小島村
本庄台地の末端から
小島村
おしまむら
小島村
こじまむら
- 長野県:長野市
- 小島村
千曲川左岸近くにあり、東は
中世は、嘉禄三年(一二二七)一〇月一〇日の鎌倉幕府が島津忠時にあてた将軍家下文(島津家文書)に、「信濃国太田庄内小島・神代、石村南・津乃
小島村
こじまむら
小島村
おじまむら
小島村
こじまむら
小島村
こしまむら
天正一五年(一五八七)の北川之村地検帳には「是ヨリ小島之村」として「小島之村小島名」に五四筆、「日ウラ島村小島名」に一五筆記され、総計は五町二反一八代二歩。うち切畑が六反五代で、作物は蕎麦・芋など。屋敷は寺を含めて二一筆あり、うち一筆が一〇代の名本屋敷、小島村に円返(通か)寺寺中一〇代、日ウラ島村に
小島村
おしまむら
- 熊本県:玉名市
- 小島村
菊池川河口の三角洲の北端にあり、西・北は川に半島状に突出る。東は
小島村
こじまむら
一日市場村の南に位置し、東は長良川で限られ、南西境は川跡が池となっていた。長良川には
小島村
おじまむら
小島村
おじまむら
- 富山県:砺波市
- 小島村
小島村
おじまむら
小島村
こじまむら
- 長野県:松本市
- 小島村
松本城下町をめぐる
天正検地の際の高付けは二六九石七斗三升であり、享保九年(一七二四)当時の石高は四二六石五升三勺と増加している。寛文年間(一六六一―七三)の水田は二三町四段七畝一八歩、畑地は四町九段二畝、水田面積の比率は高い。慶安検地時、本百姓一九。
小島村
こじまむら
小島村
こじまむら
小島村
おじまむら
小島村
おじまむら
小島村
こじまむら
小島村
こじまむら
小島村
こじまむら
- 埼玉県:熊谷市
- 小島村
大里郡
小島村
こじまむら
小島村
おじまむら
- 長野県:更埴市
- 小島村
東は
小島村
こじまむら
小島村
こじまむら
小島村
くじまむら
小島村
おしまむら
小島村
おじまむら
- 静岡県:浜北市
- 小島村
小島村
こじまむら
小島村
こじまむら
小島村
こじまむら
小島村
こしまむら
小島村
こじまむら
小島村
こじまむら
- 新潟県:柏崎市
- 小島村
東は
小島村
こじまむら
小島村
こじまむら
- 奈良県:五條市
- 小島村
吉野川の北、
小島村
おじまむら
小島村
おしまむら
小島村
こじまむら
小島村
おしまむら
小島村
こじまむら
- 愛知県:豊橋市
- 小島村
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報