六地蔵宿(読み)ろくじぞうじゆく

日本歴史地名大系 「六地蔵宿」の解説

六地蔵宿
ろくじぞうじゆく

[現在地名]宇治市六地蔵

六地蔵村の中心集落は、街道分岐点に発達した交通集落であったが、豊臣秀吉伏見城建設に伴う宇治川流路の固定によって、近江以東と大坂を結ぶ水陸結節点となり、淀川水運の河港としても繁栄をみた。ことに寛文一二年(一六七二)の西廻海運開始以前には、北陸道諸国と大坂を結ぶ運輸路としても大きく機能したと考えられる。小字名であった大津おおつ町・くるま町や、大井おおい浜・かき浜などは、それを示唆するものといえよう。

近世、伏見町(現京都市伏見区)に併合されたこの地は、奈良街道上に位置する宿駅となる。伏見町では京橋きようばし付近を西口とし、六地蔵を大和口(東口)として、双方伝馬所を設置し、六地蔵宿は正しくは伏見宿大和口六地蔵駅とよばれた。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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