日本歴史地名大系 「六方村・平蔵村」の解説 六方村・平蔵村むかたむら・ひらぞうむら 長崎県:福江市六方村・平蔵村[現在地名]福江市平蔵町福江村戸楽(とらく)の北に位置し、東部は海に臨む。北部は奥浦(おくうら)近くに浦頭(うらがしら)、その南東に南河原(なんごら)、これらの北に草津(そうづ)・浜泊(はまどまり)・大泊(おおとまり)・樫(かし)ノ浦(うら)・小田河原(おだごうら)などがある。南東部の唐船瀬(とうせんせ)鼻・赤石(あかいし)鼻の沖に庖丁(ほうちよう)島・竹(たけ)ノ子(こ)島・屋根尾(やねお)島・多々良(たたら)島などが浮ぶ。平家崎に平家塚があり、平家伝説が伝承されているが、落人の六家がその後も家を増やさないようにしたといわれ、六方の地名もこれに由来するという。当地でイエズス会の布教が行われた年代は未詳であるが、一五七〇年(元亀元年)以前に五島に四ヵ所の教会があるとされるので(一五七一年二月四日・同年一〇月二〇日「ヴィレラ書簡」イエズス会士日本通信)、同年までには当地にも教会があったと考えられる。一五八八年(天正一六年)のフォルナレート神父の見聞によれば、当地の十字架は五、六年前に中国人キリシタンのルイスが建てたもので、彼は少年時代から塩焼竈をもつ男の従僕となっていたが、のち自由の身となり、殿(宇久純玄)から十字架を切倒せと命じられていることを知りながら建立したもので、当然村人の反対を受けたが、一切の責任を一人で負うこととし、自宅に続いた山麓に建立した。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by