日本歴史地名大系 「六条中院跡」の解説 六条中院跡ろくじようなかのいんあと 京都市:下京区尚徳学区下諏訪町六条中院跡「拾芥抄」に「六条北烏丸西、淳和院御領、給信家卿」とあり、同書京程図は同所方一町の範囲を示す。この方一町は現大阪(おおさか)町・鍵屋(かぎや)町・下諏訪(しもすわん)町と堺(さかい)町・大黒(だいこく)町の一部にあたる。信家は、関白藤原教通の二男、山井権大納言と称され、妹歓子は後冷泉天皇の皇后。その後、白河上皇の御所となったらしく「百錬抄」寛治三年(一〇八九)五月三〇日条には、「上皇六条中院前池虹立、可立市之由雖有議、公所依無先例被止之、上皇渡御他所」とあり、六条中院前に「虹立」ほどの池のあったことが知られる。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by