日本歴史地名大系 「下諏訪町」の解説 下諏訪町しもすわまち 長野県:諏訪郡下諏訪町面積:六三・二九平方キロ諏訪郡の北東部、諏訪湖の北岸に位置し、南は諏訪市、西は岡谷市と隣接し、東は霧ヶ峰(きりがみね)山塊を隔てて小県(ちいさがた)郡和田(わだ)村に、北は鉢伏(はちぶせ)山塊を隔てて松本市に接する。北東鷲(わし)ヶ峰(みね)から流出する砥(と)川、蓼(たて)ノ海(うみ)付近からの承知(しようち)川の流域、特にその扇状地に発達した東西九・七キロ、南北一一キロの小さい町である。古代より諏訪大社下社はこの地の信仰の中心であり、「和名抄」にみえる土武(とむ)郷は現岡谷市を含む諏訪湖北岸一帯をさすといわれ、古くから農耕が盛んであった。 下諏訪町しもすわんちよう 京都市:下京区尚徳学区下諏訪町下京区諏訪町通五条下ル二丁目南北に通る諏訪町通を挟む両側町。町の中央を東西に的場(まとば)通が通る。平安京の条坊では、左京六条三坊三保一二町南側の地。平安時代、当町全域は藤原信家の邸宅六条中院(なかのいん)の南半部にあたっていた(拾芥抄)。当地に関しては、建久七年(一一九六)一〇月の重源家地相博状(赤星鉄馬氏所蔵文書)に<資料は省略されています>とあって、東大寺再建に努めた僧重源が「故中院僧都御房并尼御前」より寄進されたこの地を、土御門大納言通親所有の五条坊門西洞院家地と交換した由を伝える。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「下諏訪町」の意味・わかりやすい解説 下諏訪〔町〕しもすわ 長野県中部,諏訪盆地の諏訪湖北岸にある町。 1893年町制。中心集落は諏訪大社下社の門前町として早くから開け,近世には中山道と甲州街道の分岐点にあたる宿場町として,また下諏訪温泉の温泉集落として発展。明治末期から製糸工業が盛んになり,第2次世界大戦後は精密機械,金属製品の工場が進出し,カメラ,時計など近代工業の町となった。町並みは諏訪市,岡谷市に連続し,実質的には一体となっている。諏訪大社には春宮・秋宮の拝殿など重要文化財も多く,また申年と寅年に行われる御柱祭は広く知られ,観光拠点。諏訪湖ではコイの養殖,ワカサギの採卵などが行われる。背後に筑摩山地が迫り,扇状地ではリンゴが栽培される。霧ケ峰湿原植物群落は天然記念物。八ヶ岳中信高原国定公園の一部。湖岸を JR中央本線,国道 20号線が通り,142号線を分岐する。面積 66.87km2。人口 1万9155(2020)。 出典 ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典について 情報