日本歴史地名大系 「六波羅邸跡」の解説
六波羅邸跡
ろくはらていあと
平氏がその全盛期に営んだ邸館跡で、現
天永三年(一一一二)一一月八日付の丹後守正盛請文(東寺百合文書)に、
とあり、内蔵安富という佳名で正盛(清盛の祖父)が
忠盛の代の様子は、「平家物語」延慶本に「南門ハ六条末、賀茂川一丁ヲ隔ツ。元方町ナリシ」とあるが、つづいて「相国(清盛)ノ時、四丁ニ造作アリ。是モ屋敷百二十余宇ニ及ベリ。是ノミナラズ、北ノ倉町ヨリ初メ専ラ、大道ヲ隔テ辰巳ノ角ノ小松殿ニ至マデ、廿余町ニ及マデ造営シタリシ。一族親類ノ殿原及ビ郎従眷属ノ住所ニ至ルマデ、細ニ是ヲ算レハ屋敷三千二百余宇」と述べ、多少の誇張はあるにせよ、清盛の代に至って一挙に区画を拡張し、一族郎党の邸館群が出現したことをうかがわせる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報