六車城跡
むぐるまじようあと
雨滝山(二五三・二メートル)の南麓、前面に津田川支流土井川を控えた城山とよばれる小丘陵上にあった。寛永七年(一六三〇)の富田中村検地帳(有馬文書)に「城の下」「城中道」「南堀端」などの地名がみえ、南方山下の地を城の前とよぶ。丘上に二段の削平地があり、南・北・西の三方は断崖となり、自然の要害をなす。西方高地北寄りに五輪塔・層塔・宝篋印塔の部分などが集められており、室町時代の墓か供養塔を思わせる。周囲に堀がめぐらされていたようで南側の帯状湿地を堀田という。東方は空堀で天神山に接する。天神山を含めた全域が城跡と思われる。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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