兵庫村(読み)ひようごむら

日本歴史地名大系 「兵庫村」の解説

兵庫村
ひようごむら

[現在地名]羽咋市兵庫町

羽咋村の南、千里浜ちりはま砂丘の内側に立地。羽咋川の支流長者ちようじや川が集落の中央部を北西流する。村名は古代羽咋郡の郡津で、武器庫があったからとの説がある(羽咋市史)。建武五年(一三三八)二月一三日の平行兼寄進状(宝泉寺文書)に「湊保南方兵庫村」とみえ、村内の田三〇〇刈、諏訪宮前の屋敷一宇が櫛比くしひ(現門前町)の観音堂に寄進されている。現在集落北端の長者川東岸に諏訪田すわでん地名が残り、付近から奈良・平安期に比定される土師器須恵器・墨書土器が多数出土した(羽咋市史)正保郷帳では高五七五石余、田方三七町三反・畑方一町余。寛文一〇年(一六七〇)の村御印の高五八七石、免四ツ三歩、小物成は山役五四匁・苦竹役八匁、鳥役一一匁(出来)であった(三箇国高物成帳)


兵庫村
ひようごむら

[現在地名]天理市兵庫町

新泉にいずみ村・三昧田さんまいでん村の間に立地。大和おおやまと神社の武器を収めた旧祠があったと伝える(山辺郡誌)。天福元年(一二三三)の千阿弥陀仏家地処分状(讃岐多和文書)に「キタカキウチ」(端裏書)、「在大和国山辺郡南郷十三条六里三十二坪内東辺」とあり、小字きた垣内かいとが残る。


兵庫村
ひようごむら

[現在地名]高取町大字兵庫

曾我川と吉備きび川の合流点付近に立地。南は田井たいしよう村。康正二年(一四五六)の春日神社供米注進状(春日神社文書)に「田井兵庫」「ヒヨウゴ衛門」の荘名・人名がみえ、「大和志」には「兵庫跡兵庫村 皇極天皇元年起庫儲箭即比村有兜冑神祠」とみえる。兵庫は「和名抄」にツハモノグラとよみ、武器庫のこと。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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