日本歴史地名大系 「兵庫町」の解説 兵庫町ひようごまち 香川県:高松市高松城下兵庫町[現在地名]高松市兵庫町・西内町(にしうちまち)・古新町(ふるじんまち)常磐(ときわ)橋の南詰から外堀に沿って西へ向かう丸亀街道の南側に形成された片側の町人町。東西約二〇〇間。東は丸亀町を挟んで片原(かたはら)町と対し、西は広場(ひろば)で西新通(にししんとおり)町に鍵形につながる。当町と西新通町の入口にはそれぞれ木戸があった。南側は古新町。町名の由来はここに武器庫が置かれていたことによるというが、場所・状況などは不明。生駒氏時代屋敷割図には「兵庫かたはら町」とみえ、西端に武家屋敷一軒を記す。古新町の西端部を持筒(もちづつ)町とも称したことから、のちに札会所の置かれた西一区画目に武器庫があったとも考えられる。高松城下図屏風には、通りに面して十数軒の町屋が描かれ、北側は外堀沿いに掛小屋が並んでいる。 兵庫町ひようごまち 大阪府:大阪市西区兵庫町[現在地名]西区京町堀(きようまちぼり)三丁目両国橋(りようごくばし)筋を挟んで小右衛門(こうえもん)町の西に延びる両側町。町名は明暦元年(一六五五)の大坂三郷町絵図にみえる。大坂三郷北組に属し、元禄一三年(一七〇〇)の三郷水帳寄帳では屋敷数一六・役数一九役で、うち年寄分一役が無役。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by