兼松房治郎(読み)かねまつふさじろう

日本大百科全書(ニッポニカ) 「兼松房治郎」の意味・わかりやすい解説

兼松房治郎
かねまつふさじろう
(1845―1913)

実業家。貿易商社兼松(現、兼松株式会社)の創業者で、オーストラリア貿易の開拓者。大坂広間家に生まれる。商家奉公ののち江戸に出て武家に勤め、兼松家に入る。1873年(明治6)三井組に入り、81年退職。翌年大阪商船の創立に参加して取締役となるが、86年辞職。その後大阪毎日新聞の経営に携わり、またオーストラリアとの直貿易を企図して87年に渡豪。89年神戸に濠州(ごうしゅう)貿易兼松房治郎商店(1898年兼松商店と商号登記)を開業、翌年シドニー支店を開設した。日豪羊毛通商史に名を残し、中国貿易にも進出した。神戸築港運動や羊毛、肥料輸入関税撤廃運動に奔走した。

[前田和利]

『兼松株式会社編・刊『兼松回顧六十年』(1950)』

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「兼松房治郎」の解説

兼松房治郎 かねまつ-ふさじろう

1845-1913 明治時代の実業家。
弘化(こうか)2年5月21日生まれ。兼松家の養子となる。三井組につとめ,明治17年広瀬宰平らと大阪商船を創立。20年「大阪日報」を買収,翌年「大阪毎日新聞」と改題して発行。22年神戸に豪州貿易兼松房治郎商店(現兼松)を創設,羊毛の輸入,陶器輸出などをおこなった。大正2年2月6日死去。69歳。大坂出身。本姓は広間。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

367日誕生日大事典 「兼松房治郎」の解説

兼松 房治郎 (かねまつ ふさじろう)

生年月日:1845年5月21日
明治時代の実業家
1913年没

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

一度利用した製品を捨てずにそのまま再使用すること。ごみの削減に重要だとされる「3R」の一つで、衣類・服飾品や家電などさまざまな品目が取り扱われている。リユース商品の専門店やイベント、フリーマーケット...

リユースの用語解説を読む