20世紀日本人名事典 「内田周平」の解説 内田 周平ウチダ シュウヘイ 明治〜昭和期の中国哲学者 生年嘉永7年11月7日(1854年) 没年昭和19(1944)年12月23日 出生地静岡県浜松 別名字=仲準,号=内田 遠湖(ウチダ エンコ) 学歴〔年〕東京帝国大学文学部〔明治19年〕卒 経歴東大医学部を中退して儒学に転じ、明治20年より哲学館(東洋大学の前身)でハルトマン美学や儒学を講じた。著書に「寛政三博士の学勲」(昭6)や「遠湖文髄」全4巻(昭15)などがある。45年の南北朝正閏問題の際には日本国体擁護団を組織し、国定教科書を改訂させた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「内田周平」の解説 内田周平 うちだ-しゅうへい 1854-1944 明治-昭和時代前期の中国哲学者。嘉永(かえい)7年11月7日生まれ。学習院講師,五高教授などをへて,明治31年哲学館(現東洋大)教授。儒学,ハルトマン美学をおしえた。昭和19年12月23日死去。91歳。遠江(とおとうみ)(静岡県)出身。東京大学卒。号は遠湖。著作に「寛政三博士の学勲」「遠湖文髄」など。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by