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内藤信成 ないとう のぶなり

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デジタル版 日本人名大辞典+Plusの解説

内藤信成 ないとう-のぶなり

1545-1612 織豊-江戸時代前期の大名。
天文(てんぶん)14年5月5日生まれ。松平広忠の子。徳川家康の異母弟。母方の祖父内藤清長の養子となる。家康にしたがい長篠の戦い,小田原攻めなどで戦功があった。伊豆(いず)韮山(にらやま)(静岡県)や駿河(するが)(静岡県)府中の城主をへて,慶長11年近江(おうみ)(滋賀県)長浜藩主内藤家初代。4万石。慶長17年7月24日死去。68歳。

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書籍版「講談社 日本人名大辞典」をベースに、項目の追加・修正を加えたデジタルコンテンツです。この内容は2015年9月に更新作業を行った時点での情報です。時間の経過に伴い内容が異なっている場合がございます。

朝日日本歴史人物事典の解説

内藤信成

没年:慶長17.7.24(1612.8.20)
生年:天文14.5.5(1545.6.13)
安土桃山・江戸前期の武将。三河の武士嶋田景信の次男で,母は内藤清長の娘。内藤清長の養子になったとされているが,実は松平広忠の子で,徳川家康の異母弟に当たる。生年については天文15(1546)年説もある。三左衛門,のち豊前守を称した。早くから家康の戦いに従軍し,永禄1(1558)年の三河広瀬城攻めが初陣で,元亀3(1572)年の三方ケ原の戦の前哨戦である一言坂の戦では殿軍として活躍した。天正17(1589)年,甲斐常光寺城主,翌年,小田原攻めののち,伊豆韮山城主1万石となる。関ケ原の戦ののち,駿府城主4万石,慶長11(1606)年には近江長浜城主に転じた。

(小和田哲男)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
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