朝日日本歴史人物事典 「内藤信成」の解説
内藤信成
生年:天文14.5.5(1545.6.13)
安土桃山・江戸前期の武将。三河の武士嶋田景信の次男で,母は内藤清長の娘。内藤清長の養子になったとされているが,実は松平広忠の子で,徳川家康の異母弟に当たる。生年については天文15(1546)年説もある。三左衛門,のち豊前守を称した。早くから家康の戦いに従軍し,永禄1(1558)年の三河広瀬城攻めが初陣で,元亀3(1572)年の三方ケ原の戦の前哨戦である一言坂の戦では殿軍として活躍した。天正17(1589)年,甲斐常光寺城主,翌年,小田原攻めののち,伊豆韮山城主1万石となる。関ケ原の戦ののち,駿府城主4万石,慶長11(1606)年には近江長浜城主に転じた。
(小和田哲男)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報