…1603年(慶長8)立花宗茂が2万5000石で入封し藩をおこした。22年(元和8)丹羽長重が入封し,赤舘に代わって棚倉城を築城したが建設途上で転封され,27年(寛永4)磐城平藩主内藤氏の一族内藤信照が5万石で入封して,本格的な藩体制確立の諸政策を打ち出した。しかし1705年(宝永2)弌信(かずのぶ)が駿河田中へ移封された後は,幕末まで太田氏,松平氏,小笠原氏,井上氏,松平氏,阿部氏と,しばしば藩主が交替した。…
※「内藤信照」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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