日本歴史地名大系 「光徳寺」の解説
光徳寺
こうとくじ
寺伝によると永延二年(九八八)比叡山延暦寺の僧尋禅の弟子法円が当地を巡教、円融法皇の勅願によって一宇を建立したのに始まると伝え、東広山照曜峰寺と称し、台密の霊場であったという。当寺では法円を元祖とする。天永四年(一一一三)奈良興福寺の僧兵に焼かれ荒廃した(「松谷伝承記」寺蔵)。その後俊円が開基となり、安貞二年(一二二八)再興。俊円は近江園城寺(三井寺)の僧であったが信貴山毘沙門天の霊夢によって当地に来住し、後堀河天皇の宣旨によって再建したという。その宣旨が当寺に伝わり、それには「改東広山照曜峰寺、号照曜山光徳寺」とあり、
光徳寺
こうとくじ
木越山と号し、浄土真宗本願寺派。本尊は阿弥陀如来。もとは
年不詳であるが、七月四日の光徳寺門徒中宛蓮如書状(光徳寺文書)、一〇月二四日の木越光徳寺宛蓮如書状(真念寺文書)は、同寺の坊主・門徒などに乱妨を戒めたもので、蓮如の花押の形状から、文明六―七年の加賀一向一揆にかかわるものと推定される。
光徳寺
こうとくじ
光徳寺
こうとくじ
光徳寺
こうとくじ
光徳寺
こうとくじ
光徳寺
こうとくじ
光徳寺
こうとくじ
光徳寺
こうとくじ
光徳寺
こうとくじ
光徳寺
こうとくじ
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報