内野河内村(読み)うちのかわちむら

日本歴史地名大系 「内野河内村」の解説

内野河内村
うちのかわちむら

[現在地名]松島町内野河内

かみ島東部の山村で、東は姫浦ひめうら(現姫戸町)、西は教良木きようらぎ村に接する。じようひらとよばれる連丘末端に、曲輪跡と思われる平場や堀切をもつ中世城の遺構があり、村内に宝篋印塔・五輪塔が多く残る。慶長国絵図に村名がみえる。寛永一四年(一六三七)天草島原の乱には村民の半数が一揆に加わり、同年一一月六日の天草にて切支丹に立帰申候村々覚(細川家記)に「此村も半分切支丹に成申候」とある。乱当時、姫浦村境矢嶽やだけ大明神に近郷の仏像を保管したと伝えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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